橋場信夫 企画展「はしばから橋場へ」

橋場信夫展

 

オリジン(根源)をテーマに様々な作品を創り上げてきた橋場信夫の根源とは何か?

今回の企画展では作家へのインタビューと過去の作品から現在の作風にたどり着いた軌跡を追っていきます。

小学一年生から始まった作家橋場信夫の変遷とともに作品を振り返り、あなた自身の根源を探ります。

 

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橋場信夫の人生の節目に関わる作品を初めて公開する今回の企画展「はしばから橋場へ」
取り扱いギャラリーであるティルナノーグギャラリー様ご協力のもと、はたらける美術館にて開催します。
 

作品を鑑賞する皆様により深く作品を楽しんでいただくために橋場先生の作家人生と作品への向き合い方についてお伝えいたします。


 

・橋場先生のはじまり

・作家として生きていくということ

・作品の表現について

・若い作家へのメッセージ

・アートと初めて触れ合う方へのメッセージ

 


橋場先生のはじまり


作家活動はいつから始まりましたか?芸術に携わるきっかけなどあれば教えてください。

絵描きとしての個展は1973年23歳の時だね。
世に発表したのもその頃。ぼくは小学生の時から絵描きになりたかったので。昔から美術は得意で純粋に好きだったんです。

 

学生時代から作今に続くまで、作風の移り変わりはありましたか?

人物画が好きなんですよ。そのころは、友達の肖像を自分のスタイルで書くことなどをやっていましたね。ゲーテは「男には永遠の女性がいる」と言っていたんだけど。今考えると、自分の‘アニムス’(男性の中の女性像)みたいな根源的な美を創造する力を「永遠の女性」と重ね合せて、具体的な女性ではなく、女神のような自分のイメージした永遠の女性みたいなものをしばらく書いていました。

驚きました。橋場先生の作品を調べてみても拝見したことがないですね。これまでどこかで発表されたことはありますか?

そのはずだと思います。どこにも出してないですからね。このアトリエでしか見れないんですよ。探せば小学校1年の時に描いた絵も置いてあると思うけど。

アヒル-2

小学一年生の時に書かれた「あひる」 純粋な絵というものへの好奇心が伝わってくる。

 


作家として生きていくということ


 

学生の頃からプロの作家になるまでの経緯をお聞きしても良いでしょうか?

実は僕は美術学校に入るのが嫌だったんです。自分の兄も絵が上手かったんですが、ある日兄が中学校の美術の先生に酷評されたんですよ。それで絵を描かなくなってしまった。そういう話を聞いていたものですから、美術の先生にはなりたくないなというイメージがありました。
とはいえいいきなりプロの作家になるのは難しい。当時は若くて画廊で扱ってくれるなんてありえないことでした。若いっていうだけでダメだったんですよ。本当にごく一部の作家だけのシンデレラストーリー。あの世代でいきなり大画廊に扱ってもらえる なんて、まぁなかった。長いこと作り続けて、どっかの団体展に公募で入って、賞をとったりして、そこで初めて見てくれるというのがセオリーだったと思いますね。

 

やはり厳しい世界ですね。作家一本で生活できるようになるまではかなり時間がかかってしまうのではないでしょうか?

もう、年齢で言えば30歳どころじゃない。40〜50になってからようやく認められるような世界。若いうちから作家としてだけで食っていくのは無理があった。だから美術大学に行って、教職課程を取って美術の先生をやりながら絵を描いていくのが定石だったわけですよ。

僕はその方法が合っていないと感じて、美術大学には行きませんでした。高校の時が転機、進学校の中学に通っていたので日比谷高校か九段か慶応かそれとも美術学校に進むか悩みましたが、都立工芸高校デザイン科を見つけてここに通おうと思った。

 

進路としては芸術ではなくデザインの方面から学ばれたというわけですね。

これなら一生食べていけるかもしれないと思いました。でもやはりデザインじゃなくて、絵が描きたいと思い中退し、それからは独学ですね。 上野の公募展に出したりしていました。

独学で学んでいらっしゃって、発表まで何年ぐらいまでかかりましたか?

中退してから4年くらいですね。
とにかく家でひたすら描くんですよ。公募展に出してそこで会員になると、絵描き仲間ができてグループ展などからやらせてもらえたりするとかね。

 

 

 

作家を続けていく人とそうでない方の違いはどこにあると思われますか?

結局のところ続けた人が残るんですよね。当たり前だけれど。
ただしそれが本当に難しい。

僕は先生になりたくはなかったけど、生活のために先生をやりながら書いていても良い絵を描いている人は全然良いと思う。パトロンがついたりする人もいるがそれもまたいいと思ってます。言ってしまえばお金を稼ぐ手段については何でも良くて、問題は最終的に出来た作品がどうであるかということ。 その人が作品を作り続けることができるかということに尽きると思ってます。

やはり絵というのは、絵を描いたら芸術になるというものではないんです。

 

生活と作家活動の両立についての苦労はありましたか?

苦労というわけではないけれど、僕は結婚した後ビル掃除3年 、集配の仕事を配送13年 していましたよ。若いし、作家として生きていけるんだったらなんだってできると思っていました。一度は過酷な仕事を体験してみたかったという興味もありましたね 。朝早いが3時には終わる仕事だったり、フジカラーの集配の仕事なんかは待ち時間が非常に長かったので絵を描く時間はあった。 とにかく絵を優先できるという点でいい仕事でしたね。

その時の作品は今も持ってらっしゃるのですか?

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これ(写真左奥)とかそうですね。1986年、36歳の時 の作品ですね。

 


作品の表現について


この頃には今の作風に近いものが見た目にもわかりますが、橋場先生のお持ちの「オリジン」という一貫したテーマというものはいつ頃のからのものでしょうか?

1979年の29歳頃ですね。
ラスコー洞窟の手形の壁画を見たことをきっかけにテーマに掲げるようになりました。

ゴーギャンも言っている「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」それが芸術の究極のテーマですよ。それと根源というものが実際は繋がらなかったんだけれども、手形を見たときにそれは感じましたね。紙に息吹を吹き込み、宿すということが大事。

 

海外での経験が作品のテーマに強く影響したのですね。

パリに行ったのが28歳なので。海外に行って一番役に立つのが自分の国をよく知るということですね。だから、あんまり若いうちに行ってしまうとその国に染まっちゃうんですよ。
僕は日本で公募展の会員にすでになっていたから、海外と比べて実際にこれほどまでに違うんだということを実感しましたね。
自身に確固たるものがない場合は影響をただ受けるので気をつけないといけません。

 

パリでの出会いについてお聞きしても良いですか?

このパリでの経験はいい刺激になりましたね。クートラスとも非常に仲良くしていました。その頃は身近な人物を描いていました。右の作品が「クートラスの肖像」ですね。家も遠いのによく遊びに来ていましたよ。料理を振る舞ったりと楽しかったですね。
左の「マダムモーーリス」は住んでいたアパートの近くにあるカフェのマダムを描いたものです。
クートラスの肖像 マダム・モーリス
橋場先生の作品の共通点というものは意識して制作されていますか?

表現というものはパッとできてしまったというものではなくて、自分が好きなものを深く深く認識すればするほど表現が固まってくるんですよ。表現が固まると、その表現をどういうテクニックで表現するのが一番適しているのかというのが必ずでてくるんですよ。僕らの時代にもあったけれど、もう表現し尽くされていると思うのは間違い。オリジナルなものは必ず出てくる。
橋場先生の作品を見られたときに、どのように作られたのか多くの方が興味を持たれるのですが、表現技法はどのように紆余曲折して今の形に辿り着いたのでしょうか。

作品がどんどん抽象化されて、シンボリックになっていったんですね。当時は絵画より彫刻がすごくクローズアップされて、自分でも自身の方向性は少し弱いと思ってました。線の部分も鉛で鋳造してみようかなとおもって試したことがあったが、石膏の量が非常に必要で上手くいかなかった。子供に与えていたことがきっかけで常に手に入る紙粘土を使うようになり、それでレリーフを作るということをはじめたんです。

根源を探求していくうちに人物を描くことには違和感を覚えました。根源的なものを表現は記号が適しているんです。擬人化ではない。

金属の質感の表現の多彩さは驚かされるものが多くあり、中でも「錆び」を表現されていますが、どのようなアプローチで表現されているのですか?

絵の具もカドミウムや色々な鉱物で出来ています。 一旦キャンバスに置くと色という概念になるが面白いですね、鉄の色、金の色、緑青の色というように、それ固有の色と分かるものを使いたかった。フジカラーの配達員時代に鉄をサビさせるものに出会ってやってみようと試みたのがはじまりです。
自分が表現したいものがはっきりすればするほど材料となるものは世の中にたくさん広がっているものなんですよ。それがないと見過ごしてしまっているだけで、求めているモノがあれば必ずあるんです。作家というものは何を表現したいのかをきちんと持つことが大事ですね。

風

(2000年に作成された作品「風」)

 


若い作家へのメッセージ


 

若い作家に向けてのに向けてのメッセージなどありますか? 

21歳から30歳まではとにかくひたすら描くことですね。 毎日線一本でも描いて手と頭を一つにする。あるいは物を描くのだったら目と手を一つにする。30歳過ぎたら40歳までに一生死ぬまで続けられるテーマを見つける。

中々見つからないですよ。僕もそうやってきました。表現スタイルは色々で良いけど、そこに辿り着くまでのテーマが大事。絵画を描いていますというのはいずれなくなる 。人間というのは自分より大きいものを考えることで成長する 。宇宙とか物理学とか 大きくなることで底辺が広がりみんな共感できる。個人的なことには誰も共感できない 。それをできるようにするにはいろんな本を読むとか音楽を聴くとか、自分の波動に合うもの、そういったところにヒントは隠されているんです。若い人たちには、等身大という「言葉」に安住することなく、自分よりも大きなものを考えて欲しいですね。

 

 


アートと初めて触れ合う方へのメッセージ


 

はたらける美術館では、アートとの接点が少ない一般のサラリーマンの方々にも多くご利用いただいています。そのような方がにどのようなメッセージを伝えたいと思いますか?

絵を描くということは自分自身を描くということだと思うんです。絵を観るということは絵を鏡にして自分を見るということなんです。最初に良いなと感じたものは自分自身が反映されたものなんです。新しく好きになった絵は新しい自分を発見したということなんです。

なぜ好きなんだろうということを考えると自分の輪郭が現れるんです。

作品を通して自分の価値観などの輪郭を探ってみてほしいと思います。

 


 

橋場先生ありがとうございました!